創業者の志に触れる
弘済会の奨学給付金の価値。
ある県の支部長が、学資支弁困難な高校生に奨学金給付のため、高校を訪問した際に出会った翔くんの話です。
お母様を亡くされ、病気がちなお父様との2人暮らしの翔くん。満足に食事をとることも出来ない翔くんを見かねた同じクラスの保護者がお弁当を作ってくれ、それが翔くんの1日1度の食事だそうです。
翔くんは優秀でクラスのリーダー格です。その翔くんが修学旅行の準備の時間はいつも寂しそうにしていたそう。
弘済会からの給付金を頂けることになり、クラスの皆と一緒に修学旅行に行ける。そういって担任の先生は泣いて喜んだそうです。
校長先生も旅行カバンを翔くんに貸してあげるのだそう。
3人揃って、支部長を校門の外まで丁寧に見送ってくれたそうです。深く、何度も何度もお辞儀をして。
10代の高校生の頃の自分を思い出してみてください。一生に一度の修学旅行に行くことが出来なかったら、翔くんの高校時代の思い出が、寂しい思い出として、心のキズとして残ったかもしれません。
支部長さんは、手記にこのように残されていました。
弘済会事業は、戦後間もない頃、まだ青空教室も珍しくない時代に前身の会社との提携の下で始まりました。
当時から先生達は、寝食も忘れて、これからの日本国を背負う若者の教育に一生懸命でした。
その先生達の生活の安定、万が一の時の保障、そして「最終受益者は子どもたち」の理念を具現化するため、いくつもの保険会社に働きかけたそうですが、どこも受け入れなかった。
そんな中、当時の川井社長は、「教弘保険を売っても会社が儲かることはないだろう。けれども、社会的に意義のある仕事だと思うから、我々がやらせて頂きます。」そう言って始まった弘済会との提携関係だそう。
川井さんという創業者に大変共感します。その意思をしっかり受け継ぎ継承して行きたいと思う。この事業は本当に価値があり素晴らしいと思う。自分は賛同する側の人間でありたいと強く思う。
教育に携わる先生方一人一人、そのご家族へ、経済的保障をお届けするだけでなく、数千円という保険料の積み重ねから生まれたこの配当金は、日本のどこかで、翔くんのような生徒さんお一人お一人の人生に温かい手を差し伸べることが出来る。
保険の相互扶助の精神。
一人の力ではなし得ないことも、沢山集まることで大きな貢献が実現出来る。
だからこそ、私達は毎日、この事業の意義をお一人お一人の先生方へ理解して頂く努力を続けて行きたいと思う。そして一人でも多くの賛同を得て、その仲間の輪に沢山の方に加わってほしい。そのお手伝いをして行きたいと思う。
創業者の志に触れる。
それを後世に継承してゆく。
世の為人の為になるように命を使う。